リエコの手帳

趣味と暮らしの覚え書き( ◠‿◠ )

マロンクリームの憂鬱。

あれは確か、小学校二年生の春の出来事だったと記憶している。

私たち女子児童の間で、サンリオのマロンクリームというキャラクターが流行った。

なんかマイメロディやキキララよりも一層お姉さんなイメージで、マロンクリームのアイテムを持っている子は少し大人っぽいみたいなのがあった。

 

同じクラスにAちゃんという超お金持ちの子がいた。

Aちゃんは自宅にエレベーターがあるような超お金持ちなので、マロンクリームのあらゆるアイテムを持って学校にやってきた。

消しゴムや筆箱やハンカチやお弁当箱…ありとあらゆるアイテムを持っていたので、みんなの人気の的だった。

私は取り立ててAちゃんとは仲良くはなかったんだけど、たぶんその時「良いなあ!」って強く思っていたと思う。

 

私もマロンクリームの何かが欲しくて、サンリオショップに行く度にねだったのだけど、私が欲しがる物はコンパクトミラーやヘアブラシなど少しお姉さんなアイテムだったから、買って貰えることはなかった。

いや、今思えば親にはねだれなくて、祖母にねだってみたけども、マロンクリームのアイテムは何故だかだめだった。

 

しかしある日、祖母と手芸屋を訪れると、マロンクリームがプリントされた布が売っているではないか。

「おばあちゃん、この布で学校に着ていくワンピースを作ってよ。」

そういうと不思議なことにアッサリと受け入れてもらう事ができた。

そうして祖母が作ったのは、ワンピースではなく、紛れもない他所行きのドレスだった。マロンクリーム柄の。

 

翌日そのドレスを着て学校に行った。行くなり私は注目の的になってしまった。

みんなから質問責めに遭う。

「ねえ、そのドレスどこで買ったの?かわいい。いいなあ!」

「いいないいなあ、私も欲しい!」

すると普段喋った事もないAちゃんが、ずいっと割り込んで来た。

「ねえ?サンリオのおみせには売ってなかったんだけど?!」

 

私はなんだかまずいなと感じて、

「おばあちゃんが作ってくれたの。」と告白した。

 

するとAちゃんは、

「なあんだ手作りか、貧乏くさい!!!」

そう、吐き捨てるように言った。

 

私はその時、確かに悲しくて悔しい気持ちになったのだけど、どこからかポジティブな気持ちも湧いてきたのを、今まで言葉で説明する事が出来なかった。

凄く不思議な感覚で、感じた事が無い感情だ。

 

その感情は今も一言では説明ができないのだけど、解説する事が出来るようになったので書いてみる事とする。

 

悔しいのは私が侮辱された事ではなく、祖母が丁寧に作ってくれたその行為を侮辱された事だった。

そしてこの素晴らしいドレスの良さをAちゃんに理解してもらえなかった事に、深い悲しみを感じたようだ。

 

そしてなぜか湧いてきたポジティブな気持ちというのは、Aちゃんはお金を出して買えるものしか手に入れられないが、私はお金を出しても買えない物、即ちお店には売っていない素敵な物を手に入れることが出来たことについての悦びの気持ちだった。

この悦びの気持ちに気づくまで、30年近くかかったと言うわけだ。大変に奥深い。

 

そしてこの時の経験は、今もそのまま私の考え方のベースにあるようだ。

 

しかしこれについては、マロンクリームのドレスを縫った祖母から度々刷り込みをされていて、

「売っている物は買うな、自分で作れ。」

「人と同じ物を持つな、自分で作れ。」

そう言われ続けて育ってしまった事も大いに影響していると思う。

私個人的には、この教えはあまり良い教えでは無いと感じている。

なぜかと言うと、ニュートラルな気持ちで物を見る事が困難になってしまい、現実を難しくしてしまうからだ。

 

しかしやはり良い面もあって、こういう考え方しか出来ない人間は必然的に物を多角的に見る事になる為、そうでない人よりも多くの情報を得て脳内で再現する癖がつく。

これはクリエイティブ系の学校に居た時は役に立ったと思う。

 

そして現実を難しくしてしまう、とはこういうことだ。

私は子供の頃から絵を描く事や小さな物を作る事が好きだったのだけれど、それはいつしか、好きだからそうするのではなく、欲しい物が手に入らないからそうするという、ネガティブな動機にすり替わってしまっていた。

欲しい服が買えないから自作する、承認欲求を得たいから絵を描くなど…年月が経てば経つほど、そのようなクリエイティブな行為自体が好き、そういう気持ちが薄らぎ、むしろ『煩わしいけど仕方なしにやる』ような事になってしまっている。

 

全く好きな気持ちがないわけでは無い、何かを作る時は矢張りわくわくする。

ただ幼少期の刷り込みの所為で、ニュートラルなわくわくと作り上げる楽しい気持ちに、足枷がついているような重くどんよりとした感覚がある。

 

ただ、このような刷り込みがあり、ものを作る祖母たち(二人の祖母両方とも手先が器用でした)の元で育った事で、さほど費用を必要とせずに良い物を手に入れるという技術が身についたのは確かなので、物事は一長一短だと思う。

 

そんな祖母も、有名ブランドのハンドバッグが好きで、私が子どもの頃から触れてこれた。

だから私もブランドの品物は大好きなのだが、努力してお金を作って手に入れようとは思えない。

そもそもそうやって努力しないと手に入れられない時点で、本来はブランドの顧客になれない、身の丈に合っていないと言う事になるのだが、それ以前になんだかこう、求める気持ちが少ない。

それは矢張りマロンクリーム柄のドレスの時に経験した、お金をだせばポンと手に入る物ではなく『どこにも売っていない素敵な物を手に入れたい』と言う気持ちが、人一倍強い事に原因があるのだろうと思っている。

 

(おしまい)