前回は、ソリテールリングのダイヤモンドを欠けさせてしまったという記事を書きましたが、本日はこの続きのお話をしたいと思います。
前回のお話はこちら↓
ダイヤモンドを着用中に欠けさせてしまったという事なのですが、実はもう何年も前の出来事でした。欠けに気づいたのは手にしてから割と直ぐのタイミングだったと思います。
それからは(たぶん)欠けを増やす事なく過ごしています。
なぜ欠けさせてしまったのか?
ここからは私の推測なのですが、それは初めて指輪をはめた指だったからなのかも?という事です。
そう、この指輪は婚約指輪、左手の薬指に指輪をはめたのは初めてでした。
私は独身時代から石ものの指輪が好きで、大ぶりなものも愛用してきたし、祖母から受け継いだダイヤモンドも中指や人差し指にはめていました。
それを思い返してみても(右手の!)人差し指にはめた、大振りの琥珀やオパールに致命的な傷をつけたことがないのです。
ですから、初めて指輪をつけた指は、着用感が慣れなくてぎこちなくなる(普段しない指に指輪すると慣れるまで気持ち悪くないですか?)だろうし、指輪をした状態での手捌きに問題があったのではないかと思うのです。
えっ、そんなことで?って思われるかも知れませんが、セルフでネイルをやっている私には思い当たることがあるのです。
思い当たる事…
それは、セルフだからついやすりを怠けてしまい、爪が伸びて脳の許容範囲(?)を超えると、突き指をするという現象が頻繁に起こるのです。それも、かなりの勢い・強さで突き指します。勿論爪は折れます。
そして、突き指するのは大体が中指と薬指なんです。
これは、ほんの数ミリでも距離感が狂うと、物にぶつけてしまうという良い例ではないでしょうか?
だとすると、石ものの指輪をつけ慣れない指にはめればぶつけてしまうという事は容易に想定できると思うのです。
ではでは、欠けさせない為にはどうしたら良いか?ですよね。
気になりますよね、特に婚約指輪の購入を検討されている方とか…。ご自分へのプレゼントで大粒ダイヤモンドを手に入れられた方とか…。
結論から言うと、練習したら良いのだと思います。
結局は慣れの問題なんじゃないかなあと言うのが、私の推測の結論です。
練習ってなんぞやと思われると思うのですが、指が慣れるまでイミテーションをはめておけば良いのでは?という事です^^
そして、私がイミテーションを購入した理由ですが、
ある指輪の仕立て直しを考えていた時、希望のデザインがソリテールで、着用したい指が中指だったため、中指にソリテールを嵌めるのは美しいのか(不便はないかなども)を確かめるために購入しました。
オーダーは仕上がりのイメージが湧きづらいし、ジュエリーショップで見本の指輪をはめてみる事はできても、その見本を日常的に身に付けて生活してみて判断するなんてできません。
それに、フルオーダーはショップに見本がないのは普通ですから、希望のデザインがそもそも指に似合うか分からないし、イミテーションがあるとそういった判断に便利です。
それで判断した指輪をもとに、ここをもっと低くとか太くとか職人さんに見せながら説明するのにも良いですよ( ◠‿◠ )
最後に、既にダイヤモンドリングをお持ちで普段使いしていらっしゃる方には、心配がいらないのでは?というお話をさせていただきます。
勿論絶対はないのですが、体の一部のように馴染んでしまっていれば、脳が距離感を覚えているし、たまにつける方よりも毎日愛用している方のがぶつけて欠けさせる可能性は圧倒的に少ないという事です。
もしそれでも心配でしたら、覆輪留めや六本爪の指輪に仕立て直すと良いと思うのですが、覆輪はぶつけると石がポロッと行ってしまうし、六本爪が良いのかなーと言う感じですね。六本爪ならぶつけた時に爪に当たる確率が高いし、爪が一本折れても五本の爪が無事なら石は落ちません。
(うろ覚えですが、二本の爪がぐんっと曲がっても、三本の爪に引っかかって石が無事な可能性があるって聞いたことがあります。でも記憶曖昧ですすみません!)
そう考えたらティファニーのセッティングは、着用する人の事を考えた良く出来た設計なのだなーと思います。
大切にしているダイヤモンド、大切だからこそ着用したいし、でも破損や紛失は怖いし…。
そう思う場合でも、少しの知識と少しの準備があれば、私のようにもらって早々ダイヤをかけさせる可能性は少なくできると思います。
私のダイヤモンドは不幸中の幸い(?)で、欠け方がスパッと行っていたので、今はそのままで着用しています。良いデザインがあれば、欠けを保護する意味合いでも仕立て直しをしたいですね。
形ある物は、形が変わったり壊れたりする物なのです。
婚約指輪が欠けるなんて縁起でもなさそうですが、様々なことが変化し続ける、色々あるのが結婚ではないですか^^
皆さんのダイヤモンドも、準備をして沢山使って、時を超えて愛せる存在になりますように。
(おわり)