昼下がりの事だった。
大船駅から乗った東海道は、平日にも関わらず空席が少なかった。
男女が向かい合わせに座っているところの隣の席を選んだ。
その時、何故そうなったのか全く思い出せないのだが、その男女と会話をする事となる。
自分達はもうリタイアしていて、今日は熱海に旅行をしてきた、そう楽しそうに話す女性は、とても可愛らしい人だった。
「私は鎌倉の女学校に行っていたのよ。」
「そうだ、君はお嬢様学校に行っていたんだ。僕なんかは相手にされないようなお嬢さんでね…。」
「やめてちょうだい。この人はもうずっとこんな風で、女の子のお尻ばかり追いかけていたの。だから私はね、この人に教えてあげたのよ。よそのお尻は見てはいけませんよ、って。」
「そんな風に僕に言うもんだからさ、参ったよ。」
私はふんふんとお話を聞いていた。
こんなに素敵な、軽やかな雰囲気の人が現実に存在していることに驚いていた。
「今回はね、ずうっと前、大昔に行ったっきりだった熱海がね、今すごく良いって言うじゃない?だから行ってみたのよ。」
「へえ。熱海では観光をされたんですか?」
「あはは、ずうっとお酒を飲んでいたわ。」
「そうなんだよ、飲んでいたな。」
「それはそれは、素敵な旅ですね。私もお酒が好きです。」
それから私の目的地に着くまで、沢山の楽しいお話を伺った。
そのご夫婦は、東京へ帰られるとのことだった。
私の記憶に映像としてくっきりと残っているのは、左手の中指に輝くソリテールのことだ。
あれは恐らく…ティファニー社のダイヤモンドソリテールだと思う。
ざっくりとした麻のロングワンピースに、ジュエリーはそれ一つだけ…。
その潔さに圧倒的な説得力を感じた。
可愛らしくて芯が強い、あのなんとも言えない楽しい雰囲気は忘れることができない。
あんな女性になれたら、あんな夫婦になれたら、どんなに素敵だろうと回想する。
(おしまい)