午後15時。木曜日。
東京近郊の街、その駅周辺にある欧風の喫茶店。
ぼんやりと座っていた私の前に、小さなお婆さんの姿が現れた。
ゆっくりと歩む姿は、ひじょうに凛としていて、きりりとした黒い眉をすこし長めにひいている。
私が小さな頃恐れていた、算盤の先生とか、 書道のお師匠とか、そんな感じのほんのすこしだけ近寄りがたいような雰囲気を醸している。
黒々と染めた髪は低くシニヨンにし、お出掛け着でも家着でもない、でも日常に纏うにはしっかりとした生地のセーターに膝が隠れるスカートを履いている。
アクセサリーのような、柄の端にほんの小さな宝石がついた眼鏡をかけて、左手にひとつだけ指輪をしていた。
いや、よく見ると二つの指輪をくすり指に重ねている。
一つは指から零れ落ちそうなダイヤモンドのソリテール、おそらく昭和につくられた立て爪だと思う。
二つめは、背の高いダイヤモンドの一文字リングである。
私は乱視なので、細かなディテールはぼんやりとしてよく見えないのだが、それなのにとても良い品物であることが判った。
そしてその指輪たちは昨日今日手に入れたものではなく、長い間持ち主に寄り添っていた品物独特の色濃い風情が漂っていた。
その指輪をつけた左手の動きは、決してぎこちないものではなく、日頃から宝石を指につけている人の慣れた手つきをしている。
きっとこの二つのダイヤモンドの指輪は、彼女の日常にぴったりと寄り添い、人生の一瞬一瞬を、輝きと共に写しとってきたのだろう。
彼女の席に、暖かいコーヒーと焼き立てのパニーニが運ばれてくる。
コーヒーカップを持ち上げる指がぎらりと光る。
私も、自分の手のひらで包んだコーヒーカップに目を遣り、冷えたコーヒーを飲み干した。
向かいに座っていた母に、あのお婆さん素敵ねと話かける。
ああいうお婆さんになりたいなあと宣言した。
店を出る時、ショーケースの前でなぜかお婆さんとすれ違った。
その手には大きな白いお皿と、まあるい大きなシナモンロール。たっぷりとチョコレートを乗せていた。
すれ違い様に、お互い小さく会釈した。
彼女の表情をちらりと伺うと、シナモンロールに目線を落としながら、少しだけ恥ずかしそうに笑っていた。
その微笑は、先のお婆さんの雰囲気からは意外なほど、小さな子どものように愛らしかった。
(おしまい)